やけくそお寿司マジック

インターネット原産です。気がついたときに更新。

私の世間は悪でもいい

この世の文章は嘘だ。
 当たり前なのだが、読み進める程にエッセイだろうが小説だろうが詩だろうが、人はそこにあるものを本当のことだと思うので、俵万智さんが「サラダ記念日にカレー味の唐揚げ」を食べたといって、この世の人は驚いたらしい。
 ともなれば、太宰治芥川龍之介夏目漱石も、実はみんな作品とは大きく異なることをしている可能性すらある。
太宰治は別に自殺志願者ではない可能性すらある。
作品のついた嘘というのは、多分そういうことなんだと思う。

それと、自分は、どうも人に良く見られたがる悪癖があるらしい。
友人にも言われたのだが、「自分では周りを気にしない素振りをする割に、実は周囲の目線をとても気にしている」と言われた。
 なんだがそれが悔しくて
自分では1人の人間として、何か1つ立派に「これをしてきました」と言えることが無いといけないと思って生きてきたし、こうして文字を書く時も、人の気分を害してはいけないと思っていたし、読みやすく無ければいけないと思っていたし、無意識にネット上でもいい人として振舞おうとして、よく言いたいことを言わないことがあるが、実はそんなことはなくて、本当にいい作品と言うのは、人の人格や性格に関わらず評価され、そうすれば、自分を取り巻く人間は洗練され、今のように気を使わずとも良くなるのだと、今日、ようやっと本当の意味で「分かった」気がした。

にゃるらさんのおかげだ。
NEEDY GIRL OVERDOSEのスタッフである。(詳細は不明で申し訳ないが、恐くシナリオライター

少しだけ、彼のnoteを読んだら、共感にも似た理解を得た。(あくまで私個人の理解であって、本人を理解した訳では無いが)

そして同時に、私の友人に似ていると思った。
私の友人にも、インターネットで様々なことをしているが、別に気を使っている訳では無い友人がいる。
言ってしまえば、体調不良も、精神不良も、何もかも隠していないのだ。
 自分は育ち故の悪癖で、悪いことは隠す癖があり、そのせいで嘘をついたりして、人間関係を劣悪化させることも少なくなかった。
だが、そんなことも無くなれば、自分ももっと生きやすくなるのかもしれないと、思った。
 多少なら悪い人になってもいいし、悪いことを言ってもいいと、この歳でようやく気がついたのだ。
ようやく